人間力を高める書籍紹介(過去分)

このページは、私が読んだ本の中で、人間力を身につけるために大いに役立った言葉をピックアップしたものです。経営者も社員の方も、一人の人間として人間力を高め続けることが大切であると思います。少しでも参考になれば幸いです。

「忘れられない、あのひと言」-「いい人に会う」編集部編 岩波書店発行


出会った人の「ひと言」が自分の人生を変えてしまうことがあります。「この言葉は一生大切にしていたい」と思う言葉と出会えたとしたら、その人は幸せですよね。その人の「一生を貫く価値観を表現する言葉」を持てたということですから・・・。

【その4】 「タイミング イズ ベスト!」

「遅すぎることはないさ」

阿木 燿子(作詞家)


 私がフラメンコを習い始めたのは44歳。何事にものめりこみやすい性格の故か、その時から私の生活は、フラメンコ中心になった。主人は最初から協力的で、発表会が近づくと、家の近くのスタジオで自主トレをしている私の様子をビデオに撮るべく顔を覗かせ、いろいろアドバイスしてくれた。

 ダンス経験のまったくない主人だが、言うことは的を射ている。自分が長年ステージで培ってきた、観客にどうすればアピールするかの、ちょっとしたテクニックを伝授してくれる。レッスンに行き詰まった時の、愚痴の聞き役も彼だ。どんな時も彼は私の泣き言に根気よく付き合ってくれた。

私の言うことは大体決まっている。自分の覚えの悪さや、出来なさについてのぼやきがほとんどだ。また後から入ってきた若い人に追い抜かれたと悔しがり、そのことを主人にぶつける。ああ、若い頃からやっていれば良かったな。そうしたら、こんなに苦労しないのにと。

その時、彼はこう言ってくれた。「そんなことないよ。若い時にダンスを習う女性は結構いるけど、案外続かないものだよ。でも、あなたはこの年齢から始めたから、一生の趣味にできるでしょう、何事も遅すぎることはないさ」この言葉にどれほど励まされたことか。そう、遅すぎることはないのだ。いつでもその人にとって、ジャストタイミングで物事は起こる。そう信じると、また新たな発見がある。主人のあの一言は、今でも私の勇気の源になっている。

※ひとことコメント
 「いつでもその人にとって、ジャストタイミングで物事は起こる」この言葉の持つ意味は大きい。「タイミング イズ ベスト」という言葉も同意であろう。

「タイミング イズ ベスト」という言葉は魔法の言葉のように思う。良きことも悪しきことも、すべてを前向きにとらえることができる気持ちにしてくれる。

「すべては自分にとって必要があって起こっているのだから、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、目の前の一瞬一瞬を抱きしめよう。」と思うことが出来れば、新しい人生を見つけることができるはずだ。

私たちは一瞬一瞬を生きている。そこに「遅すぎる」なんていう言葉は似合わない。

「忘れられない、あのひと言」-「いい人に会う」編集部編 岩波書店発行


出会った人の「ひと言」が自分の人生を変えてしまうことがあります。「この言葉は一生大切にしていたい」と思う言葉と出会えたとしたら、その人は幸せですよね。その人の「一生を貫く価値観を表現する言葉」を持てたということですから・・・。

【その3】 「どうせやるなら、楽しまなくっちゃ」

「楽しく音楽しましょうね!」

千住 真理子(ヴァイオリニスト)


 12歳でプロデビューした私は、「天才少女」という言われ方をマスコミにされるようになった。初めこそチョットくすぐったいような嬉しさがあったが、すぐにそれは大きなプレッシャーへと変わった。「そんなふうに弾いたらみんながっかりしますよ」。恩師の厳しいレッスンは、そんな言葉と共に二日おきに続き、私の身体と心は疲れてボロボロになっていった。次第にステージで弾けない自分が生まれた。緊張、恐怖、プレッシャー・・・。

 ある日、ステージの下手(しもて)でスタンバイしている私に、ふと声を掛けて下さったのは、巨匠の指揮者である渡邉暁雄先生だった。「楽しく音楽しましょうね。」微笑むマエストロの目をじっと見つめ、私は心の中で何度も呟いた。「楽しく弾く?」 音楽を楽しむことは当たり前のことだと思っていた。だが緊張とプレッシャーで楽しめない。

ステージの下手、マエストロから「楽しく」と声を掛けられ、無理に笑顔を作る私に、マエストロは更にこうおっしゃった。「ブラブラ体操!身体の筋肉の力を抜いてブラブラさせるといいんですよ。」マエストロはいきなりその格調の高いご自身の身体をぐにゃぐにゃにして見せた。顔までぐにゃぐにゃにして見せたので、その場にいたスタッフがみな一斉に吹き出した。

 私も笑った。おかしくてたまらずお腹を曲げて笑った。その直後、ステージに出て弾いた演奏は、ブラボーの嵐を浴び、大成功で終わった。

※ひとことコメント
 天才と言われる人でさえ、プレッシャーで打ちのめされることがあるようだ。期待度が高い分、凡人より天才の方が厳しい環境なのかもしれない。 着眼点として、大切なことは、非凡な才能を持った人たちが、必死の努力を重ねているということである。すなわち、他人事ではなく、凡人である私たちがそれに互して存在するためには、その倍、少なくとも数倍の努力を重ねなければ追いつけまい。

 しかし、可能性はゼロではない。数倍の努力をすれば、その天才の域に近づけるはずである。そういう信念を持てるかどうかがすべてを決める。努力する天才にはかなわないかもしれない。しかし、「努力を重ねることができるという才能をもった凡才」と、「地道な努力をすることができない天才」とであれば、いずれが人生の成功者となり得るであろうか?私は努力する凡才に軍配をあげる。

「楽しむ」ことについては、天才であっても、凡人であっても、平等である。存在するステージは異なるが、同じ人間である。音楽を楽しむように、仕事を、試験を、夫婦生活を、人生を、楽しめば良いと思う。

 目の前にあるすべての環境を、喜びとともに、抱きしめて生きることができれば、苦難も笑顔で乗り切れる。苦境も感謝の気持ちで乗り越えることができる。すべては、心の持ちようである。

「忘れられない、あのひと言」-「いい人に会う」編集部編 岩波書店発行


出会った人の「ひと言」が自分の人生を変えてしまうことがあります。「この言葉は一生大切にしていたい」と思う言葉と出会えたとしたら、その人は幸せですよね。その人の「一生を貫く価値観を表現する言葉」を持てたということですから・・・。

【その2】 「男は黙ってヒデオ・ノモ」

「僕はアメリカに英語を覚えにいくわけではない。野球をやりに行くんです。」

二宮 清純(スポーツジャーナリスト)


 この一言は今でも私の耳の奥にこびりついて離れない。言葉の主は昨年(2005年)6月、日米通算200勝を達成した野茂英雄だ。社会人時代から野茂英雄を取材してきた。その頃から彼は「将来はメジャーリーグで勝負したい」という意志を持っていた。プロに入ってからも、その意志がゆらぐことはなかった。紆余曲折を経てメジャーリーグ挑戦が決まった。しかし、彼が海を渡ると決めた時、その勇気ある行動を称える声は皆無だった。

 そして、野茂の顔をのぞきこむようにしてアナウンサーが訊いた。「野茂さんは英語が得意ではないようですが、メジャーリーグで英語が話せないとイジメにあうそうですよ」一瞬ムッとした表情を浮かべた野茂は、おもむろに冒頭のセリフを口にした。私が、メジャーリーグでの彼の成功を確信した瞬間でもあった。

 また、野茂はこうも言った。「男なら曲げないものをひとつ持て。」今季(2006年)はマイナーリーグからのスタートとなる。だが、彼は決して弱音を吐かない。余りあるほどの名声と栄光を手にしながら、彼は過去を振り返らない。ただ前だけを見つめている。そして、今やらなければならないことを黙々とこなし続けている。

 野茂の口から言い訳や弁解がましい言葉を聞いたことは一度もない。「男は黙ってヒデオ・ノモ。」いくつになってもこの男は変わらない。彼こそは平成の時代に生きる本物のサムライである。

※ひとことコメント
「本物のさむらい」と言う言葉に心が揺れる。ただひたすら一つの道にすべてを捧げるように打ち込む姿に、心が動くのだと思う。侍という字が示しているとおり、まるで「寺の人」のように、すなわち修行僧のように、一つの道を極めるために邁進する姿が見えるような気がする。

 そして、そのひたむきさで、孤独に打ち勝ち、自らの人生の道を開き、結果として、アメリカの大リーグでの日本選手の活躍の場を開くこととなった。周りは関係ない。自分が残してきた結果をふり返る必要もない。一番大切なことは、今やらなければならないことを、精一杯やることだ。

 人間は、みんな望みを持っている。しかし、それを実現することは難しい。やりきるのだ、やってみせる、という「堅い意志」がすべてを実現していくのだと思う。

 私の大好きな棋士である藤沢秀行先生が、あの世に旅立つ直前に、信じられないほどの力強い筆致で、揮毫している。その言葉は「強烈な努力」という言葉であった。「堅い意志」と「強烈な努力」があれば、実現しないことなどありはしない。

「忘れられない、あのひと言」-「いい人に会う」編集部編 岩波書店発行


【その1】 「巧言令色」どこが悪い?

「あなた、すごいわ。才能あるわよ~」
20年前に聞いたこの言葉は、語尾の「よ~」まで、
感謝の気持ちとともに私の心に刻みこまれている。
                      篠田節子(小説家)


 20歳も年上の彼女とは小説教室で出会った。海外生活の長い奥様だった。30そこそこの公務員であった私は、有産階級の主婦と話すのも、彼女の駆使する欧米仕込みの社交術に触れるのも初めてだった。そこで初めて書いた私の小説を読んだ彼女が発したのが、先に挙げた言葉だ。

 そして件のマダムの最後の一押しは、「これ、すばらしい作品よ。この私が、ど~ん、と太鼓判。新人賞にお出しなさいよ。」だった。かくして「ど~んと太鼓判」の作品を私は文学新人賞に応募し、予選落ちする。しかし「ど~んと太鼓判」を信じた私は、落ち込むことなくその短編を長編に直し、別の文学賞に応募した。結果は入選だった。

 真っ先に、彼女に電話をした。「あら、私、うれしくて」と言ったきり、彼女の言葉が途切れて、嗚咽に変わった。人と人との関係も、言葉と本音の関係も、驚くほどフレキシブルだ。ただの社交辞令もお世辞も、10回も発すれば本音になり、社交から始まった人付き合いが友情に変わる。

 新人や小説教室の生徒さんの作品を読むとき、私はとにかく良いところを探す。一つでもみつけたら、その部分を褒める。褒められて殺されるのはよほどのバカだ。たいていはそれで自分の勝負技を知り、木をよじ登るエネルギーを得る。「あなた、とっ~てもすてきよ」の奥様社交の精神はあなどれない。

※ひとことコメント
 出会った人の「ひと言」が自分の人生を変えてしまうことがあります。「この言葉は一生大切にしていたい」と思う言葉と出会えたとしたら、その人は幸せですよね。その人の「一生を貫く価値観を表現する言葉」を持てたということですから。

 さて、世の中に、褒められて嫌がる者はいません。褒め言葉には、実際に評価されて褒められる時もあるし、後で乗せられたのだと気づく褒め言葉もあります。今回の篠田節子さんの場合は、心から褒めてくれていると感じた結果なのだと思います。真心を込めて言ったので、相手の心に響いたのだと思います。言葉の力はすごいものですね。

 私は、「長所は短所であり、短所は長所である。」と思うのです。長所は、金平糖の突き出た部分のようなものですよね。目立つけれど、周りとのバランスはとれない場合もあります。短所は、役に立たない無造作に置かれた石のようなものかもしれません。でも、何とも言えない味わいがあったりしますよね。どちらも個性の輝きだと思うのです。

 他人が持っている自分にない長所は、心から褒めれば良い。(ただ今の時代なのでTPOをわきまえる必要はあるでしょう。)「他人が持っている自分にない短所は、自分への戒めとすれば良い」というのは、当たり前です。「短所は長所かもしれない」と思うことができたら、褒め言葉は無限大に広がります。人生は、考え方次第で、楽しめそうです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その60】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その60】 いいか、人生は情熱だぞ!

身には老少有れども、而も心には老少無し。
気には老少有れども、而も理には老少無し。
須く能く老少無きの心を執りて、
以て老少無きの理を体すべし。


 身体や身体の機能は、年齢が加わるにつれて老化していくことはどうしようもない。しかし、心は、年齢とともに老化してはいかない。道理に老化のないのと同じことだ。人生は、老少のない心をもって、道理を自分のものにしていくことだ。
 財を貯えることには誰もがきわめて熱心だ。しかし、それが一代限りで消えてしまうことはまわりをみればよくわかる。それよりも学問を子孫につけてやることだ。学ぶ心さえあれば、人生は本当にすばらしい。

※ひとことコメント
 学び、そして実行すること。それに優るものはない。頭の良し悪しなど関係ない。ひたすら、学び、実践するのみである。その姿勢が、生き様が大切なのだと思う。

 私の尊敬する人が、「いいか、人生は情熱だぞ!」と一喝されています。志を抱き、情熱をもって、ひたすら実現のため、言行を積み重ねていくことこそが充実した人生を過ごす秘訣だと思います。

 その姿を見て、必ずや仲間が集い、周囲の注目を引き、共に志を実現しようというエネルギーになっていくのではないでしょうか? せっかくこの世に生命をもったのだから、何か世の中に役に立ちたいと願っています。

 この「その60」をもって、人間力を高める書籍紹介【その1】を終わります。次回からは、これはという書籍を読んで、人間力を高める書籍紹介【その2】をスタートしたいと思います。引き続きご覧いただければ幸いです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その59】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その59】 志と共に歩き続ける

唐虞(とうぐ)の治、只だ是れ情の一字のみ。
極めて之れを言えば、
万物一体も、情の推に外ならず。


 堯帝と舜帝の政治は、中国人の理想をゆくものであった。この理想をさらに掘り下げてみると、「情」の一字に尽きる。万物はすべて一体というのも、その根元に「情」があるからにほかならない。舜帝ができたことを、自分にできないことはない。

 人生に師とする目標をもって、毎日、その人に一歩でも近づいていこうという志をもっていくことは、自分自身を磨くことで、とてもすばらしいことなのだ。せっかくすばらしい手本があるのだから、良いことは学ばなくてはならない。

※ひとことコメント
 理想を持つことは、志を持つことにほかならない。理想・志を持ってさえいれば、失敗したとしても、早く立ち直ることができる。失敗から学ぶべきものを学び、速やかに理想の実現に向かって、歩き始めるからである。

 理想・志を持っているからこそ、小成に安んずることはない。理想の実現と比較すれば、小さな成功など一里塚にしか過ぎないことを自覚することができるからである。

 私たちは、理想を、志を明確に持っているか? そして、毎日の、一瞬一瞬の言行が、その理想・志に向かう方向と一致しているかを検証することを忘れてはならない。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その58】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その58】 貧富に善悪はない

今日の貧賤に、素行(そこう)する能(あた)わずんば、
乃ち他日の富貴に必ず驕泰(きょうたい)せん。
今日の富貴に、素行する能わずんば、
乃ち他日の患難(かんなん)に必ず狼狽(ろうばい)せん。


 今日、たとえ貧しくても、その貧しさを正面から受け止めて、堂々と生活していかなければ、他日、努力が実って裕福になった時、必ず驕りたかぶって人生を台無しにしてしまう。

 逆に、かりに今日の裕福をそのまま受け止めて、謙虚な心をもって生活できないとしたら、他日、貧しくなった時は、必ずあわてふためくであろう。

 貧しい時にも、憂えたり悲しんだりはしない。富み栄えても、喜んだり楽しんだりはしない。常に「貧賤富貴」にとらわれることなく、仁を求め、義を求めて生きたいものだ。

※ひとことコメント
 富を知らない人は気の毒であるという考え方もあるだろう。富を知らない人は、貧から脱するために人生を過ごすようなところがある。しかし、貧であるが故に、すべてのものを大切に扱うことになる。家族の情愛に感謝し、周りの人々と助け合い、心優しい人生を送ることができる。

 貧を知らない人は気の毒であるという考えかたもあるだろう。貧を知らない人は、物を保有することが当たり前であると思っている。しかし、財を持つ故に、その財を増やそうとして、維持しようとして、あるいは、相続しようとして、多くの悩みが発生する。

 貧富は善悪ではない。与えられた環境にすぎない。与えられた環境にかかわらず、自ら信じる人生を生きることだ。そこには、感謝と感動が待っている。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その56】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その56】 人情は磁石のごとし

人心(じんしん)の感応は、
磁石の鉄を吸うがごときなり。
「人の情、測り難し」と謂うこと勿(なか)れ。
我が情は即ち是れ人の情なり。


 それぞれの人間の心の底に誠があり、この誠が、相互に「感応」を呼び起こすことができるのである。だから、磁石が鉄を吸い付けるような力をお互いが秘めているのだ。「人情は測り難い」とよく人はいうが、それは誤っている。自分の情は、そのまま、他人の情と根本において共通しているからである。
何事でも、まず自分が感じなくてはならない。その感動は、まわりの人々に伝わっていく。そして一つの共通した人情として共鳴していくことになるのである。自他共通の人情があるからこそ、救われるのだ。

※ひとことコメント
「女性学」で知られる桜井秀勲氏が、ユニークな発言をされています。桜井氏は、昭和30年代に週刊誌の「女性自身」を100万部にした名編集長でしたが、良い記事のネタをつかむには、「おや、まぁ、へえ」といった「ココロの動き」が大切だと言っています。

 それに関して、農学博士・マーケティングプロデューサーの平岡豊氏は、「おや、まぁ、へえ」は、つまりは、「発見、感動、納得」でしょう。「ココロの動き」を大切にしなければ、「発見、感動、納得」は得られない。まずは興味を持つことが大事だと述べられています。

 人間は、知っているようでも、知らないことばかり。どこからきて、どこへ帰るのか? 何のために生まれてくるのか? 知らないことばかりだけど、生まれたばかりの我が子を抱いた時の感動は忘れない。興味は尽きない。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その55】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その55】 今からでも遅くはない

人朝にして食(くら)わざれば、則ち昼にして飢え、
少にして学ばざれば、則ち壮にして惑う。
飢うる者は、猶(な)お、忍ぶ可(べ)し。
惑う者は、奈何(いかん)とも、す可(べ)からず。


 人生に惑うほど苦しいものはない。幼少の頃から、人間の誠の道を学んでいかないと、壮年になってから人生に迷いが出てくる。無学のまま壮年になると、人間の正しい道がわからないから、欲に任せて貪ることになる。周りの人々は、一人二人と去っていく。

 自分さえ良ければ、あとは犠牲にしてもかまわないという人は、道に遠い。壮年から大いに惑うことになる。他人のために私欲を捨てていけば、仲間は増えていく。

※ひとことコメント
 今日の新聞には、「イチロー 9年連続200本安打 メジャー初」の記事が大きく出ていました。結果をあれこれ言うのは簡単なことですが、この結果を出すために、どれほどの努力を積み重ねてきたことかと思うと、敬意を表さざるを得ません。

世の中に100点満点の人間など、存在しないと思うのです。イチローだって、胃潰瘍になり、怪我もするのです。誰もが、不安や恐怖と戦っているのです。だから、私もあなたも、弱き心を、自ら励ましながら、人生を有意義に生きて行きましょう。

「自分の力、所詮たいしたことはないのはわかっている。でも、捨てたものじゃないこともわかっている。」今からでも決して遅くはない。努力は嘘をつかない。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その54】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その54】 一瞬一瞬を大切に

人は須(すべから)く忙裏(ぼうり)に閑を占め、
苦中に楽を存する工夫を著(つ)くべし。


 どんなに忙しくても、その中に閑を求め、自己実現の人生でなくては、生きたとはいえない。人生が終わる時、ただ忙しかったというだけでよいのかと、自分に尋ねてみればよくわかる。自分を見つめる人生は、忙の中にあって閑をつくりだす時に生まれてくる。

 閑は忙の中にあってこそ、価値を持つものだ。多忙に押しつぶされるようでは大成しない。多忙を楽しむ余裕を持つことが大切だ。人生は、本来、誠をもって生きれば、すばらしい世界なのだから。

※ひとことコメント
 上記の中の「閑は忙の中にあってこそ、価値をもつものだ」という言葉を聞くと、「言い訳無用」と言われたような気がします。「仕事は忙しい人に頼め」とよく言われます。忙しい人こそ時間の使い方・生かし方を工夫しているのではないかと思います。興味深い例をあげてみましょう。

 例えば、1時間テレビを見る場合、コマーシャルの時間はどのくらいだと思われますか?なんと15分以上はコマーシャルの時間なのです。1日2時間テレビを見ると仮定すると、コマーシャルの時間は30分ですね。1年間で182時間です。一日の内、有効に使える時間が8時間として、これを割り算すると約23日です。

 細切れではあるけれど、コマーシャルの時間を有効に使えば、なんと1年の間に23日(1日に8時間を使える)を得ることができるのです。まさに「時間は創るもの」と言えるでしょう。(私からのお願い・・誰かコマーシャルの時間だけ、自動的に消音になる機能を発明してもらえないでしょうか?!)

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その53】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その53】 独を慎む

自ら欺(あざむ)かず。
之れを天に事(つか)うと謂(い)う。


 自分自身とどうつきあうのか。この一事が一番難しい。人間の心には誠がある。この誠を磨いていけば、天の道も誠だから、天に仕えることになる。自分の心を欺くことなく生きる努力を重ねていくことだ。

『大学』は、「小人閑居して不善を為す」と言っている。人は、暇ができてぼんやりしている時は、ろくなことを考えないものだ。自分の心を正直に見ると、つい易しい方へいってしまう。あくまで、誠の心を磨いて光が美しく輝くように努力していかなくては、生きるとは言えないのだ。

※ひとことコメント
「独りでいる時は、大勢といる時のように振る舞い、大勢といる時は、独りでいる時のように振る舞うことが大切である」と聞いたことがあります。

たとえ周りに人がいなくても、自分だけは欺くことはできません。「天知る、我知る」です。また、大勢の中にあっても、自分自身の誠を失うようなことがあってはなりません。

「慎独」(独を慎む)という言葉がありますが、上記のように考える時、かつての多くの先人たちが、この言葉を大切にしてきた理由が少しだけわかるような気がします。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その52】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その52】 どんな時も太陽は・・・

青天白日は常に我に在り。
宜しく之を座右に掲げ
以て警戒と為すべし。



 心を静かにして大空を仰ぐと、すばらしい太陽が、澄み切った青空に輝いているのがよくわかる。この「青天白日」は、同時に自分の心の中にもあるのであって、心が曇ることのないように、いつも澄み切るように心掛けなければならないのである。

 心を「青天白日」にしておくためには、私欲を心から追い出すことだ。いつも磨いて、曇らないようにしておくことである。座右の言葉をつくって、自分の言動の戒めとすることができれば、どんなに危険な時でも、誠の心をもって突破できるようになる。

※ひとことコメント
 お天気の良い日には、太陽の日差しを浴び、ひまわりの花が咲いているのを見て、生命の力強さを感じます。しかし、一方では、台風に襲われ、せっかく手入れした稲が倒れてしまうのを見る時、自然の持つ非情さを感じてしまうことがあります。

 ただ、台風のもっと上の方では、太陽はいつも通り、何も変わらず、その光を地球に向けて降り注いでくれています。

 心をいつも磨いて、曇らないようにしておけば、いつも変らぬ真実をつかみ取ることができるのではないか、そのようにありたいと思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その51】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その51】 人生の幸せとは?

知らずして知る者は、道心(どうしん)なり。
知って知らざる者は、人心(じんしん)なり。



 学問などなくても、謙虚な心で人生を見事に生きている人がいる。知らずして「道心」を知っているのだ。無欲無心の心になれば、真相ははっきりと見通せる。

 人に知られない善行をごく自然に行っていけば、必ず良い報いがくる。自分の徳をまわりに話す人は多いが、黙々とし「陰徳」を積んでいる人は少ない。自分が「陰徳」だと思わないで、人々に誠心誠意尽くして生きることだ。

人生の幸せは、感謝ではないだろうか。感謝の心さえあれば、まわりの人々からも、色々と支援の手がさしのべられて、豊かな人間関係ができあがってくる。

※ひとことコメント
「幸せとは幸せに感じる心を言うのです。何かを所有することをもって、支配することをもって、幸福であるのではないのです。」とある女性が言っています。

皆さんの周りには、本当は幸せが満ちあふれているのではないですか?朝、目が覚めた時、今日も新たな一日を迎えることができたと思うこと、それがまず大いなる幸せだと思います。

道ばたに、精一杯咲く小さな花をみると、「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり。」という言葉を思い出します。「あなたがお手本になります。ありがとう」と心の中で思い、幸せな気分になります。

幸せは、あなたのすぐそばにありますよ。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その50】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その50】 自然に学ぶ

一息(いっそく)の間断無く、
一刻の急忙(きゅうぼう)無し。
則ち是れ天地の気象なり。




 今、夕暮れ時の夏の空を仰いでいる。時々刻々と変わっていくが、急ぐわけでなく、とぎれるわけでもない。自然のままに、暖かかった空を夜の冷気に変えていってくれる。

 人間の心もこの自然のように、悠々と、急がず怠けず、変化させていかなくてはならない。天地の気象をみつめていると、人間の小さな損得勘定がみじめになってくる。もっとおおらかに、自然と一体になって人生を渡れないものかと自分をみつめる。



※ひとことコメント
「文明の衝突」という言葉を聞いたことがあります。自然を征服しようとする西洋文明と自然とともに生きようとする東洋文明が、今衝突しています。「征服から共存へ」、時代は変わりつつあると感じています。

 自然を征服するなど、論外であると思います。「人間がなぜ生まれるのか?」「宇宙はなぜ創造されたのか?」わからないことだらけの人間が、自然の一部にしかすぎない人間が、自然の支配者となれるはずがありません。

人間は生存する環境を与えられている。それは、大自然によってもたらされています。もっともっと自然を大切にし、自然に感謝し、謙虚に自然から学ぶべきだと思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その49】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その49】 私欲を捕(つか)まえる

真の己れを以て仮の己れに克つは、
天理なり。
身の我れを以て心の我れを害するは
人欲なり。




 人の身心を害するものは、限りない欲望だ。どこまでいっても満足することなく、さらに、さらにと求めてとどまるところを知らない。一生欲望に振り回されるような人生を送りたくない。そのためにも自分をよくコントロールできるように、修養しなければならない。
「己れに克つ」というのは、忠恕(まごころと思いやり)の心をもって生きることではないだろうか。「己れに克つ」ためには、己れの私欲がどこにひそんでいるかを、しっかりとつかまなくてはならない。つかんでいればコントロールがきくのだ。



※ひとことコメント
 かつて吉田松陰は、その主宰する松下村塾において門人たちに、「萩の一角にあるこの松下村塾から長州藩を改革しよう。長州藩を改革することによって日本を変革しよう。」と言い放ったそうです。

 現在、世界経済は混迷を深め、日本の有り様は重しのない風船のような状態です。とはいえ、私たち一人ひとりに何かできることがあるはずです。すべてを各人自身の責任ととらえ、まずは、今にも増して、家庭や職場を喜びや生きがいのある場所になるように、具体的に実行してみませんか?

一人ひとりがそれぞれの人生を一生懸命生きる時、必然的に家庭も職場も、ひいては日本も変革できるのではないかと思うのです。想像してみてください。「一隅を照らす」という言葉がありますが、みんなでそれぞれの一隅を照らせば、まぶしいくらい明るい社会になると思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その48】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その48】 大人(たいじん)を目指す

凡(およ)そ学を為すの初(はじめ)は、
必ず大人(たいじん)たらんと欲するの志を立てて、
然る後に、書は読む可きなり。
徒(いたず)らに聞見を貪(むさぼ)るのみならば、則ち、
或いは恐る、傲(おごり)を長じ、非を飾らんことを。




「大人」たらんと志を立て、一日一日を惜しんで、努力してこそ幸せな人生といえるのではないだろうか。人間修養の本をじっくりと読んで、徳のある人物になれるよう工夫努力することが、人生の喜びにならなくては悲しい。書を読むことが見聞知識を広め、貪り、自分を飾り、多読に傲りを生ずるようになるならば、これは誤った読み方である。

「書を読めば万倍の利あり。書を読みて破費せず。」とあるように、志を立てて読むならば、予期以上の利益をあげることができる。人生は短い。ぼんやりしていると、春はすぐに秋になってしまう。自分が志を立てて、幸せな人生をつくりだす努力をしていくことができれば、最良なのである。


※ひとことコメント
 大人(たいじん)とは、無私の心をもった人のことである。したがって、常に人のために、と考え行動する人のことである。

 西郷隆盛の墓地の入り口にある勝海舟の歌碑には、次のように歌われている。「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな」
無限の思いやり・包容力が感じられる。

 大人(たいじん)になることは難しいことだと思う。しかし、大人を目指すことはできる。目指す方向を定め、一歩ずつなら進むことができるはずだ。そのためには、まず、志を持つこと、決意をすること、そしてイメージをもち、具体的に行動することである。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その47】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その47】 逆境を抱きしめる

人の一生には、順境有り。逆境有り。
消長(しょうちょう)の数(すう)、
怪(あやし)む可(べ)き者無し。
惟(た)だ一(いち)の敬の字、
以て逆順を貫けば可(か)なり。



 順風に帆をあげて、前向きで輝いている姿を見ると、心から嬉しいと思う。しかし、謙虚さを忘れてしまっている様子を見ると、前途の危険を心配してしまう。
逆境にあってもひねくれないで、黙々と努力している人を見ると、一日でも早く、すばらしい日が来るように祈らざるを得ない。

立身出世をして高い地位につき、財宝を手に入れても、人々のそしりは高くなるばかりだ。生涯、それにしがみついていては、人の道から遠くなるばかりだ。順境にしても、逆境にしても、謙虚に、敬う心を持ち続けることが大切なのだ。


※ひとことコメント
 逆境こそが自分の魂を強くする。本当に一生懸命生きている人は、他人から見れば逆境にしか見えない環境を、それとも気づかないで必死で生きているのかもしれません。

 そして、ふと自分の人生をふり返る時に、「あの頃は、本当につらいことばかりであった。毎日を必死で生きていた。しかし、だからこそ、これからの人生においても、どんな逆境が訪れようとも、必ず乗り越えていける。」と思えるのではないでしょうか?

 自らを磨いてくれる逆境に対し、「ありがとう」と感謝し、「逆境を抱きしめる」ことができた時、そこには逆境などというものは存在しなくなるのだと思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その46】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その46】 我欲を捨てる

欲に大小有り。
大欲の発するは、我れ自(みずか)ら知る。
己に克つこと或(あるい)は易(やす)し。
小欲は、則(すなわ)ち自ら其の欲たるを覚えず。
己れに克つこと卻(かえ)って難し。



「大欲」が起こる時は、興奮してくるから、自分で反省して、これを抑えることができる。だから、自分の欲に勝つこともできる。「小欲」が起こる時は、それに気づかないから、自分で反省しようにも、そのチャンスがない。こんな時は、自分に勝つことは難しい。

欲を、自分のために起こすようでは、徳のある人物になることはできない。自分が豊かになるためには、人を踏みつけにしても平気だという人の一生を見ていると、結局は、地獄の苦しみを受けてみじめな人生となり、決して心豊かではない。

※ひとことコメント
 昨年9月のリーマンショックに始まる金融不況によって、世界中が影響を受けています。最近、様々な手段を講じた結果が出て来て、株価もようやく戻ってきたという新聞記事を見かけました。しかし、ある人は、「リーマン地震が起こったが、それは、もっと大きな桁外れの地震の導火線にすぎない。」と言っています。

 そもそもこの金融不況の原因は何でしょうか?それは、明らかに「欲」です。それも、我のみ良かれ、自分さえ儲ければそれで良いという「小欲」がその原因です。一方で、この地球には、食べるものがなくて、命を落としている人々がたくさんいます。

 今こそ、世界中の人々が「大欲」を持ち、一人ひとりが価値観を変えていかねばなりません。国境を越えて、人種を越えて、共に助け合い、分かち合いながら、それぞれの個性を輝かせることができるような地球にしたいですね。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その45】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その45】 今しかない

心は現在なるを要す。
事未(こといま)だ来たらざるに、邀(むか)う可(べ)からず。
事已(ことすで)に往(ゆ)けるに、追う可からず。
纔(わずか)に追い纔(わずか)に邀(むか)うとも、
便(すなわ)ち是れ放心なり。



 今日のこと、今のこと、この一点に努力を集中していくことが、本当の生き方なのだ。まだやってこない未来のことばかりを空想して、やがて良くなると思っていても、今、ここで努力を積んでいてこそ、それが可能になるのであって、今の努力が欠けていては、未来など、みじめなものになってしまうだけだ。

 今、ここでベストを尽くしておかないで、一体、いつ、どこでベストを尽くそうというのだろう。自分の姿を鏡で見つめてみると、今しかないことがわかってくる。

※ひとことコメント
「ワンドロップ」という言葉をご存じでしょうか?「ワンドロップ」とは、南アメリカのキチュア民族の「ハチドリのひとしずく」という話に由来しています。山火事で森が燃えた時、一匹のハチドリが、くちばしで水のしずくを運んで火を消そうとした。「そんなことをして、いったい何になるんだ」と笑われた時に、ハチドリは「私は私にできることをしているだけ」と答えたという。

 あなたはハチドリを笑うでしょうか?ハチドリでありたいと思うでしょうか?本当にわずかな力しかないけれど、私たち一人ひとりにも、今できることがあるはずです。多くの言葉よりも、具体的な行動が大切だと思います。

「ワンドロップ」・ひとしずくのまごころを、一人ひとりが具体的な行動で現すことができたら、きっとすばらしい世の中になるはず、きっとすばらしい地球にすることができるはず、そう思うのです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その44】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その44】 慎独

慎独の工夫は、
当(まさ)に身の稠人広座(ちゅうじんこうざ)の中に
在るが如きと一般なるべく、
応酬の工夫は、
当に閑居独処(かんきょどくしょ)の時の如きと一般なるべし。



 ひとりだけで、「身を慎む工夫」をする時は、多くの人々が集まっている広い座敷の中にいるつもりでやるのがよい。多くの人たちと「接する工夫」は、静かなところで、ひとりだけいる時の心で行うつもりになることが望ましいのだ。

 言行は君子の運命を決する大切な機能だ。この機能をどう発動するかで、栄辱は決まる。人は、言動や行為に、誠にかなった工夫を加えていかなくてはならない。わいわいと騒がしい中にあっても、独り工夫をこらして自分を磨き、群集の中にあってこそ、人間が鍛えられることを知るべきである。

※ひとことコメント
 現在の自分があるのは、自分のみの力によるものだろうか?と考える時、父母・家族・恩師・友人・先輩・上司・同僚など多くの周りの方々に支えられて自分が存在していることに気が付く。

 そうすると、「今まで本当にありがとうございました。」と思わざるを得ない。感謝すれば謙虚にならざるを得ない。反省すればその後は努力・前進するしかない。「感謝→謙虚→反省→努力→感謝」、この循環の中に無限の成長があるのだと思う。

 独りを慎み、人格を高め、少しでもご恩返しができるよう日々自らを錬磨し続けたいものです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その43】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その43】 自分の言動を客観的に聴き、見る

我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。
我が挙動は、吾が目自ら視る可し。
視聴既に心に愧(は)じざらば、
則ち人も亦必ず服せん。



 不思議なことに、自分がペラペラとしゃべりすぎていることに気づく人は少ない。「もう舌を休めたらどうですか」と言ってやりたくなるほど舌を酷使しているのに、全く反省しない。行動についても少々おかしいのに、本人は得意になっている。

 自分の言語や挙動について、常に反省し、天下に恥じるところがないかどうかを点検していける人はすばらしい。誰が見ていようと、見ていまいと、誠の一字をもって言語と挙動に気をつけなくてはならぬ。

※ひとことコメント
 確かに「自分が話したくて話している」人が多いようです。本来会話はキャッチボールのようにお互いの思いを言葉にすることが楽しいのだと思います。今自分が話している内容は、相手にとって関心のある、役に立つ話なのだろうか?相手の立場に立って話をしているだろうか?と考える時、お互いに有意義な時間に変えていくことができるのだろうと思います。

 そうでなければ、自分の話したいことを一方的に相手に話すということは、すなわち、好き嫌いも尋ねず、相手の口に、自分勝手に食べ物を押し込むようなものです。された方はたまったものではありません。そんなことでは、良好な人間関係は望めないでしょう。

 自分自身の言動を、他者を見る目で見つめ、至らざるを反省する習慣を身につけることが大切です。裸の王様にならないよう日々謙虚に過ごしましょう。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その42】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その42】 自分の心の変化に気づく

恩怨分明(おんえんぶんめい)なるは、君子の道に非ず。
徳の報ず可(べ)きは固(もと)よりなり。
怨(うらみ)に至っては、則(すなわ)ち当(まさ)に
自ら其の怨を致しし所以(ゆえん)を怨むべし。



 君子たる者は、恩を受けたからすぐ恩を返したり、怨みを受けたら怨みを返そうとは考えない。怨みや恩をはっきりさせるのは考えものである。

恩になったことは、返せる時が来れば返せばよいので、怨みに対しても「こちらも怨み返してやるぞ」と思うのは実にいやしい。怨まれたら、怨まれた原因をしっかりと反省して、その元を直していくことだ。

※ひとことコメント
 怨まれて良い気がする人はいないだろう。批判された時も同様である。その為に鬱々とした日々を過ごすことになる。この時間を前向きの時間に変える方法はないものだろうか?

 まず、原因を自分に求めること。そして、その原因が見つかったとしたら、、「ごめんなさい」と相手に心の中で謝罪する。そして同じことが起こったとしたら、次回はそのようなことがないようにするための対策を考える。

しかし、間をおいて、何度も怨まれていることを思い出す。その時には、スイッチを切り替える習慣を身につけることが大切である。マイナスイメージが浮かんだ瞬間に、「ごめんなさい。次回の対策はOK。その人のために、私にできることはないだろうか。」と前向きな言葉をイメージする。

「人間は同時に二つのことを考えることはできない。」この人間の特性を生かすことだ。マイナスのイメージを抱いた瞬間に、スイッチを切り変えること。慣れると、短時間で前向きな思考に移ることができるようになります。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その41】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その41】 幸福は近くにある

彼を知り己(おのれ)を知れば、百戦百勝す。
彼を知るは、難きに似て易く、
己を知るは、易きに似て難し。



 相手の心を十分に知り、自分の心も点検していけば、百戦して百勝できる。相手の心を知るのは、一見して難しいようだが、実は易しい。その反対に、自分の心を知るのは、易しいようで実は難しいのだ。

 人を戦わずして服させるには、徳を積んで、相手のことを先に考えることだ。人生の本当の勝利は何だろうか。心にわだかまりがなくて、今日もいい日だったと思える人が、本当の勝利者ではないのだろうか。

※ひとことコメント
 日々幸福であることを実感しながら生きることができるならば、その人こそが人生の勝利者であろう。周りの人々が、その人のことを不幸に思い、気の毒に思ったとしても、本人が日々生かされていることを感謝し、喜びを感じながら人生を生きたとすれば、その人は幸福であるに違いない。

「生きているだけで丸儲け」と言う言葉を聞いて、ハッとして、「そうかもね」と思い、とても気が楽になったことがある。目の前の事にとらわれて、悩んだり、苦しんだりすることも多いけれど、もっと大前提で、「生きているだけでラッキーなんだ」と思えば、周りの景色が今までと違って見えるようになる。

 幸せであることを、幸せと感じることのできる能力も大切であると思う。すでに幸せであるのに、もっと幸せを求めている人間が多いのかもしれない。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その40】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その40】 無私と無心が道を開く

「自ら反(かえ)りみて縮(なお)ければ」とは、
我れ無きなり。
「千万人と雖(いえど)も吾(われ)往かん」とは、
物無きなり。


「縮(なお)ければ」とは、自分で反省してみて、正直で少しも恥ずかしいと思わなければ、という意味である。そういう時は、私心が無く無心であって、誠そのものを実践しているのである。

「千万人と雖も吾往かん」という勇気が湧いてくる時は、功名や手柄を立てようというような名誉欲もないし、財宝を貯えようという気もないのである。無欲になっている時だ。

自己の損得を考えないで、一心に事を行えば、どんなにむずかしいと思われることでも必ずできるものだ。人生は無欲の人の味方になってくれる。

※ひとことコメント
 私心があると、いずれ私心ありと見抜かれ、人々の支援を受けることができなくなります。私心無きことが人々の心に響いた時、周りの人々も自然に応援したくなるのだと思います。

私欲・物欲などがあると、欲の発する臭いが必ず人の知るところとなります。無心であれば、自然の流れに乗って、予想以上に円滑に運ぶこととなるのだと思います。

「生きていて 良かったと見上げる 桜かな」私心無く、無心で咲く桜が心を慰めてくれます。至らぬ我なれど、努力を惜しまず、少しでも世の中の役に立ちたいと思っています。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その39】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その39】 人の長所に学ぶ

人の長所を視(み)るべし。
短処を視ること勿(なか)れ。
短処を視れば、則ち我れ彼れに勝(まさ)れり、
我れに於(おい)て益無し。
長処を視れば、則ち彼れ我れに勝れり、
我れに於て益有り。


 他人の欠点ばかりをあげて、自分の偉さを誇示する人がいる。表面では、誰もが従っているように見えるが、対面していないときは、必ず悪口を言われていると知っているから、心を許してはいない。自我を捨てて、心から、相手の長所を見ることだ。これができれば、幸せなのは、自分だということがわかってくる。

 人は、他人の長所や能力を伸ばすことを願って協力していくことが一番の幸せなのだ。自分より少しでもすぐれている人がいれば、その人に近づいて学ぶことが自分にとって一番益がある。批判ばかりしていては、自分に益するところはない。

※ひとことコメント
 人の長所を見つめ、至らざる自分を省みて、人間として成長していく人もいる。人の短所をあげつらい、至らざる自分を放置し、周りの人から哀れな人だと思われる人もいる。

 常に、自分自身が未完成であることを自覚することだ。すべての人間にはそれぞれに独自の個性がある。その個性を大切にすれば良いのだと思う。そして、すべての人間に、プラス(長所)とマイナス(短所)がある。足して引いて、少しでもプラスが残っているような人生でありたいと思う。

 大自然の中で、人間だけが自由意志を持っている。その自由意志をどう使うかによって人生は変わっていく。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その38】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その38】 物来順応

心理は是れ竪(たて)の工夫、
博覧は是れ横の工夫、
竪の工夫は則ち深入自得(しんにゅうじとく)し、
横の工夫は則ち浅易汎濫(せんいはんらん)す。


 心の本性を探求し、天の理と一致させて生きることを人生の目標とする。これは、「竪の工夫」といって、深く入り、自得していける。しかし、ひろく書を読み、知識をあさって、「横の工夫」をするとしても、本当に自分のものにならず、こぼれ出てしまう。生きるということは、むずかしいものだ。

 志の高い人は、苦心もまた多く、いろいろと心を痛め、努力もする。人の見ていないところで自分をどう立てていくかという工夫を怠ることはないのだ。自分の心を整えて、天の道と一体にしていく努力は、どんな喜びにも比べられるものではない。志を高くもって、くじけず、わが人生を生きていくことだ。

※ひとことコメント
「風車、風の吹くまで昼寝かな」外務大臣・総理大臣を歴任した広田弘毅は、50歳過ぎまでその実力を評価されていなかった。その頃の一句である。広田弘毅は、揮毫を求められると、よく「物来順応」と書いた。不遇の時、それは風が吹いていない時である。不遇の時であっても、志を高くもって、その環境に順応し、与えられた環境の中でできることを、精一杯、為すのである。

 最も大切なことは、心の鍛錬である。広田弘毅は毎夜欠かさず、論語を読んでいたという。指導者としての心構えを、大地に水がしみこむが如く身につけていったのであろう。心の鍛錬が主であり、知識の修得は従である。心は自らに頼るしかないが、知識は他人に頼むことができる。物来順応するべき時に、強き心を日ごろから鍛えておくことこそが大切なのである。

どうやって心を鍛えるか?日々の実践によるしかない。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その37】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その37】 学ぶ喜び

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。


 若い頃、学問に打ち込めば、壮年になって、まとまったことが成し遂げられる。壮年になって学び始めれば、老年になってぼけてしまうことはない。さらに、老年になっても学んでいれば、まわりの人々に知恵をもって接することができるから、死んでも名が朽ちてしまうことはないのである。

 人生は、生きている限り、学ぶことが何より幸せなことだ。学ぶことは人生を明るくする。明るい人のまわりには、いろいろな人々が集まってきて和やかな気分がただよう。人生は常に知的でなくてはならない。

※ひとことコメント
 20~40歳頃には、1ヵ月に1冊程度の本を読んでいたと思います。税理士試験の受験勉強をしたおかげでしょうか、文字を読むことに抵抗はありませんでした。今は1ヵ月に10冊程度の本を読んでいます。若い時は1回読むとそれでおしまいという本が多かったのですが、最近は再度読む可能性が高い本を選ぶようになりました。

 再度読む可能性がある本については、4色ボールペンで線を引いています。赤は本質的な重要性をもっているところ、緑は理由・根拠・例示など、青は否定的なところ、というように4色ボールペンで色を使い分けています。その本のエキスは赤で線を引いた部分を読み返すことで十分得ることができます。

読書の習慣を身につけ、そして、読書で学んだことを実生活に生かすことが大切です。積み重ねにまさるものはありません。「努力することを厭(いと)わないという能力」を身につけたいものです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その36】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その36】 すべての責任は自分にある

象山の
「宇宙内の事は、皆己れの分内の事」とは、
此れは男子担当の志是(か)くの如きを謂う。


 自分だけは、災難や事件にまきこまれないでいたいと誰もが考えている。しかし、いくら逃げても、この宇宙からは逃げられない。陸象山(宋代の学者)は、「天地宇宙の事は、すべて皆、自分の内のこと」ととらえれば、逃れようなどというさもしい根性など、出さなくてもすむものだと言っている。

 肚(はら)をすえてこの人生をどう生きるかがつかめれば、恐れるものなど一つもない。逃れようと思う時、自分のずるさがよくわかる。「理屈と言い訳は、後から貨車でやってくる」と言われる。肚をくくって人生に言い訳はしないと決意したいものだ。

※ひとことコメント
「宇宙内の事は、皆己れの分内の事」とは、何というスケールの大きさでしょう。日々些事に心を悩ませている私などが及びもしない境地と言えます。

 トラブルが起きた時、「人の責任にして生きる人生」と「すべては自分にも責任があると考える人生」とどちらを選びますか?

 人の責任にしてしまうと、そこから自分が学ぶことは全くありません。しかし、自分の責任もあると考えると、どうでしょう。日頃からああしておけば良かった、前もってこうしておけば良かったということが必ずあるはずです。

自分の責任を自覚する時、謙虚に反省することができます。そして冷静に状況把握を行い、原因を突き止め、次に同じことが起こらないようにするためにはどうすれば良いかという対策を打つことになります。将来同じ問題が発生した時には、楽々とクリアすることができることでしょう。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その35】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その35】 己に克(か)つことがすべて

濁水もまた水なり。
一たび澄めば清水となる。
工夫は、只だ是れ克己(こっき)のみ。


 大雨の降ったあとの川は、怒り狂って鬼気をはらんで迫ってくる。大きな家も、巨大な岩も、狂ったように押し流してしまう。まさに濁流である。ところが、流れきってしまうとウソのように清らかな水となり、小魚が遊んでいるではないか。

 人間もまたこれと同じで、心は水にたとえられる。自分で工夫をしてあばれ狂う欲望をコントロールするために、己に克(か)たねばならないのだ。自分に克(か)つことほど難しいことはない。

 ではそのためにはどうすれば良いか。自分を立てる前に人を立て、自分が達する前に人を達せしめるだけの余裕があれば、「己に克つ」ことができる。どうしても自分が前に出たいと思うものだが、それがいつも逆に作用してしまって、人望を失ってしまう。自分に克とうとすれば、まずどこまで謙虚になれるかである。

※ひとことコメント
 自分の心の状態を、他人の目で見ることができれば、ほとんどの悩みが解決する。感情が高ぶっている時、次の3点を確認すれば、すぐに落ち着くはずです。「あなたは今、謙虚さを失っていませんか?」「感謝の気持ちを忘れていませんか?」「自分のことのみを考えてはいませんか?」

 心が荒れ狂うとしても原因があるはずです。それを冷静に分析し、細分化し、原因を特定すること。それができれば、後はあらゆる解決方法を考え、PDCA(計画・実行・確認・改善)サイクルを回す。問題集を解くだけのことです。

 今の時代では、人間は一生ずっと「清の世界」で暮らすことなど極めて困難であろう。やむを得ず、一時的に濁に身を置かざるを得ないこともあるだろう。濁に身を置きながら、心を清の状態におくことができるか!泥の中で蓮の花を咲かせることができるか!まさにその時、自分の志の強さが試されるのです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その34】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その34】 常に前向きの言葉を

一燈(いっとう)を提(さ)げて暗夜を行く。
暗夜を憂(うれ)うること勿(なか)れ。
只(た)だ一燈を頼め。


 文句ばっかり言って、他人を責めることが得意な人は、実に多い。しかし、その人が幸せであるかというと、決して幸せではない。どんなに素晴らしいことでも、必ず色めがねで見るから、必ずケチをつける。自分の心にケチをつけていることに気がつかないのだ。

 世の中が私利私欲で汚れきり、暗夜になっているのを嘆くよりも、徳の「一燈」を頼りにわが道を行くのが良いのである。『大学』は、「徳は本なり。財は末なり。」と言っている。

 周りをいくら責めても何も解決しない。まして、悪口は慎むべきだ。徳の「一燈」を持って、暗夜を進む気迫を持つことだ。

※ひとことコメント
「これから一体どうなるんでしょうか?」「不景気ですね」などという会話を最近よく聞きますが、その時間は、有意義でしょうか? 1日に5人会ったとして、5分程度そんな話をしたとして、合計25分は価値のある時間でしょうか?

 例えば、この不景気の中でも、2ケタ増益で最高益を更新する企業があります。ユニクロ・ファミリーマート・ニトリ・ワタミなどです。どうせなら、「このような企業の増益の要因は何だろうね?」「何か自分の事業にも応用できないかな?」などという会話の方がはるかに有意義だと思います。

 マイナスの言葉をやめませんか?すべての言葉を、プラスの要素を含んだ言葉に変えませんか? きっと以前より、明るく、前向きになると思います。「希望と徳」を燈火として、「必ず道は開ける」と信じて、歩を進めましょう。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その33】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その33】 自分以外皆師なり

人と為り沈静なる者は、
工夫尤(もっと)も宜しく
事上の錬磨を勉むべし。
恢豁(かいかつ)なる者は、
則ち工夫宜しく
静座修養を忘れざるべし。


 自分を反省してみて、どちらかというと「沈静な性格」だと思われる人は、工夫をして、実践面での鍛錬をしてはどうであろうか。その反対に、「恢豁なる者」は、あまり飛び回らないで、静かに座禅でもして心を見つめ、修養に努めるのが良いのである。

孔子の弟子の子貢が、仁の修得を心がけ、自己を完成していく方法を質問した時、第一に、工匠が工具の鋭利なものを選ぶように、自己を磨く師友を選べと教えている。

 工夫して、更に更に自分を磨いていくことが人生の喜びであれば、それ以外のことは、心を砕く価値はない。自分が尊敬できる人を目標に、自分を磨いて努力する。毎日の工夫が、素晴らしい人格を造り上げていく。

※ひとことコメント
 理論家の人には、冷静沈着な人が多いのですが、得てして理論のみに止まり、行動力に乏しい場合があります。実践を通してしか、理論の正しさを証明する方法はありません。実践により、ゆるぎない人間力を身につけることができるのだと思います。

 行動派の人には、結果を考えず突っ走る場合があるため、思慮が足りず、足元を救われて失敗することがあります。沈思黙考し、熟慮の後、行動することで、状況の変化に応じた臨機応変の対処ができるようになると思うのです。

 自分の周りの皆さんの長所探しをしてみませんか?その中から、自分でもできることを、ひとつでも実践してみましょう。Aさんの笑顔がすてきだったので、笑顔の練習。Bさんの元気なあいさつが気持ちよかったので、元気にあいさつしてみる。まずは、できることからやってみませんか?


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その32】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その32】 只今に生きる

学を為すの緊要は、心の一字に在り。
心を把(と)って以て心を治(おさ)む。
之を聖学と謂う。


 心がいつも平静であって、波風に立ち騒ぐことのないようにするのが学問で、心を学ぶということなのだ。学問をすると、とかく議論をふっかけたり、論文で他人の上げ足をとってころばせたりして、自らの学識を天下に示そうとする、これは学問とはいえないものだ。

 一時の楽しみの後に、憂いが来るようなことをしないのが、人間として賢い生き方だ。心をしっかりと治めていれば、後で悔やまれるようなことに引っかかって、人生を誤るようなことはしなくてすむ。学問の大切さはここにあるのだ。

※ひとことコメント
 変えようもない過去のことをくよくよと思い、来てもいない未来のことをあれこれと心配するする人が多いと思います。しかし、自分の心の状態を客観的に見ることができるようになれば、考えている内容の軌道修正ができるようになります。「過去」・「未来」にある心を「只今」に引き戻すのです。

「現在」は、「過去」の積み重ねの結果そのものです。そして、「未来」は、今、「只今」の積み重ねの結果にほかならない。であるならば、大切なのは、今を、「只今」を有意義に生きることです。それがすべてです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その31】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その31】 慎独(独を慎む)

凡そ事(こと)を処するには、
須(すべか)らく平平穏穏なるを要すべし。
人の視聴を驚かすに至れば
即ち事は善しと雖も、
或いは小過(しょうか)に傷つく。


 できるだけ目立つように宣伝をしながら、自分の偉大さを人々に知らせていこうという人が多くなっている。

 人の見ていないところで努力し、自分を戒めて、徳の道からはずれないように身を慎んでいく。これができれば、人生はやすらかなものである。

 誰一人見ていないところでも、「自分を戒め、慎んで」努力をして、徳人となるように工夫していけば、必ずすばらしい人格者になることができる。

※ひとことコメント
「慎独」という言葉があります。「独」とは、孤独の自分ではなく、絶対的な存在の事をさしており、人が見ていようがいまいが、自分自身を絶対化することを「慎独」というのだと東洋思想家の安岡正篤先生が言われています。

「慎独」と言うと堅苦しいように思いますが、言い換えれば「感謝の気持ちを忘れない」ということに等しいのではないかと思います。すなわち、人は一人ではなにもできない存在です。心の底から感謝する時、謙虚な心にならざるを得ません。ごく自然に自らの行為を慎むことになります。

「自らを感謝の中に投げ入れる時、そこにはエゴは存在し得ない。それは独を慎むことにほかならない。」と思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その30】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その30】 読書は心の食事

読書も亦(また)心学なり。
必ず寧静(ねいせい)を以てして、
躁心(そうしん)を以てする勿れ。
必ず沈実(ちんじつ)を以てして、
浮心(ふしん)を以てする勿れ。


 静かなところで、聖賢の言葉をしっかりと学びとることは何よりの幸せだ。せかせかと走りまわっていては、人生の真実に達することはできない。

 心は思慮深く、志は大きく、智恵は円満にして、行動は品行方正に、才能は豊かに磨いて、仕事に振り回されないように生きることだ。

 このことを心に刻み込んでいくには、心をもって、読書にあたらなくてはならない。学問はその人の人格を必ず磨いてくれるものである。

※ひとことコメント
 江戸時代の儒学者・佐藤一斎が著した「言志録」に「太上は天を師とし、其次は人を師とし、其次は経(きょう)を師とす」(最高の人物は、天すなわち大自然から学び、その次の人は人を師とし、その次に書物に学ぶ)と記されています。

 たまに、海辺に行き、目を閉じて、大自然の息吹を感じてみてはいかがでしょうか? 自分の抱えている悩みを、尊敬する人物ならばどのように解決するのだろうかと、考えてみてはどうでしょうか?

 そして、書物は、人生の間接体験をさせてくれます。過去の多くの方々の人生を共有し、考え方・心構えを学ぶことができます。その学びが、困難に直面した時に、役立つのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その29】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その29】知識を行動で裏打ちする

学は自得(じとく)するを貴(たっと)ぶ。
人徒(いたず)らに、目を以て字有るの書を読む。
故に字に局(きょく)して、通透(つうとう)するを得ず。
当(まさ)に心を以て、字無きの書を読むべし。


 知識をいくら詰め込んでも、それだけでは、生きるうえで役に立つことはない。その知識を、自分の体験として再生していくところに、知者と呼ばれる理由があるのだ。

 学問を好むことは、とても良いことだ。知識を貯め込む学問ではなく、知者として、「知行合一」のところまでもってくることが大切なのだ。

 文字に書かれただけのことを読んで覚えたところで人生の役には立たない。文字の後ろにひそむ真実の生きた叫びが読み取れるようになればすばらしい。


※ひとことコメント
 高名な大学教授が、ある名僧を訪ねて、自分の知識を延々と披瀝したところ、そのお坊さんは、「あなたは、牛の尻ですな」とさりげなく言ったそうです。その教授は、後日いろいろな文献をさがしましたが、名僧の言う「牛の尻」の意味がわからず、そのお坊さんを再び訪れました。

「あなたは、もう(牛)のしり(尻)=ものしり ですなと言ったのですよ。」それが答でした。言葉をどれだけ知っていても、その発言をする人物の人格がいかなるものであるか、実践に裏打ちされたものであるかどうか、そのお坊さんは、その教授の足らざるを見抜き、知行合一を暗に勧めたのだろうと思います。

「牛の尻」にならぬよう、知行合一に努めましょう。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その28】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その28】 私心なければ、協力が得られる

為す無くして為す有る、
之を誠(せい)と謂い、
為す有りて為す無き、
之を敬(けい)と謂う。



人は、仕事をする時、自分に気合いを入れてから始める。ところが、自分の私心を少しもさしはさまないで、人々のためだけを思って仕事に取り組めば、決心などしなくても、自然にどんどんできてしまうものだ。「誠」とは、この状況を指していうのだ。

また、決心してとりかかるけれども、誰にもそれとはわからないでできていくこともある。自分を一切、目立たせないで、控えめにしてやりとげるのだ。「敬」とは、この状況を指していうのである。

私心を去って、まわりの人々のために全力をあげて尽くしていけば、人々は必ずそれを感じ取って、自然に協力が得られるのである。

※ひとことコメント
 自分がしたことを認めて欲しい。自分の能力を評価して欲しいと思うのが普通の人間であると思います。しかし、自分を、我を、わかって欲しいという立場にいる間は、本当の意味での幸せにはなれないのではないでしょうか。

西郷隆盛は、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」と言っています。

天を相手とし、私心なく、自分が目立つことなく、まわりの人々のために尽くし、控えめにやりとげる。そんな人生が過ごせたら、どんなに素晴らしいことでしょう。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その27】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その27】 心は健康ですか?

人は皆、身の安否を問うことを知れども、
而(しか)も心の安否を問うことを知らず。


人生は心の安らかなものでありたい。いくら権力をつかみ、財力を貯えても、まわりの人々が信用できないようでは、いつも心はおだやかではない。心がいらいらしていては、人生に何の価値があるのだろうか。

「身の安否」も大事だけれど、「心の安否」を注意して事にあたることはもっと大事なことだ。心と心が結ばれていれば、その間を破ることはできない。心をもっと大切にして、人生の宝は心なのだと肚にたたき込むことだ。

※ひとことコメント
 最近は健康に関する関心が高まっています。食べ物に気を配ったり、ウォーキングやジョギングなどをする人が増えています。また、メタボ健診なるものも始まりました。

「身体の健康」には関心を払っている私たちですが、「心の健康」に気をつけている人は意外と少ないのではないでしょうか?

「心が健康である」ためには、すなわち、「心やすらかに生きる」ためには、今日の自分を育てて頂いた周りの方々への感謝の気持ちを忘れず、謙虚に、私心無く、世の中のお役に立てるように、自らに与えられた仕事をしっかりと実行することが大切であると思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その26】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その26】 真実を見抜く

晦(かい)に処(お)る者は能(よ)く顕(けん)を見、
顕に拠(よ)る者は晦を見ず。


「暗いところ」(晦)から、「明るいところ」(顕)は、実によく見えるものだ。その反対に、明るい光があたっているところからは、暗いところはよく見えない。人生を見ようとするならば、暗いところから、光のあたっている人を見ると学ぶところが多い。

逆境を望む者はいない。しかし、逆境に耐えてこそ、人生が見えてくる。人生が見えてくれば、逆境から抜け出せるのだ。順境だけの人生はない。逆境だけの人生もない。どちらにあっても、常に、人生の真実をしっかりと見て、わが道を歩くことだ。

※ひとことコメント
 逆境を経験したことのない人は、果たして幸福であろうか? 逆境のない人生を過ごせたならば、それはそれで幸せかもしれない。しかし、それは平坦な、ある意味で退屈な人生とも言えよう。

若い間に逆境を経験し、それを乗り越えた時、その経験・自信がその後の人生を支えてくれる。「あのつらかったことを乗り越えたのだから、この逆境も必ず乗り越えられる」と自らを勇気づけることができる。若い時の逆境は、人生の宝物である。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その25】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その25】 順境の時、感謝と謙虚さを忘れてはならない

進歩中に退歩を忘れず。故に躓(つまず)かず。
臨(りん)の?(ちゅう)に曰く、
「元(おおい)に亨(とお)る貞(ただしき)に利(よろ)し。
八月に至りて凶有り」とは是なり。


順境にある時、逆境に備えることができる人は達人で、百千百勝できる。決してつまずくことはない。『易経』の言葉によれば、臨の卦の占いでも、「八月は陽気盛んで、太陽の月ではあるが、その中に欠けていく凶をひそめている」とある。

順風を背に受けて、得意満面であっても、その中に、滅亡の種子は芽を出そうとしているのだ。それをおさえるには、「退歩」する自分の心を厳しく見つめ、徳に従って、人々の幸せを先に考えていかなくてはならないのである。

※ひとことコメント
 すべては循環しています。順境の時があれば、いずれ必ず逆境の時が訪れます。逆境の時を乗り越えていくことは、大変だけれど、それを乗り越えた時に、人生を生きて行く上で、大きな財産を得ることになります。「谷深ければ、山高し」という言葉があります。困難な経験をした者ほど、山の如く、他を包み込むように、そびえ立つことができるのでしょう。

 しかし、本当に大切なのは、順境の時です。順境の時に、油断し、感謝の心を忘れ、謙虚さを失ったならば、後に待っているのは、「自らが招く逆境」となります。順境の時こそ、周りに感謝し、至らぬ自分を自覚し、自らを高める努力を積み重ねていくことが大切なのだと思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その24】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その24】 積み重ねに勝(まさ)るものはない


一の字、積の字、甚(はなは)だ畏(おそ)るべし。
善悪の幾も初一念(しょいちねん)に在(あ)りて、
善悪の熟するも積累(せきるい)の後(のち)に在り。


「一」の字とは、ささやかな努力のことだ。「積」の字とは、まさに努力が積み上げられた結果のことである。「善」も「悪」も、「初一念」の時に芽を出しているが、これが積もり積もって熟していくのである。

「初一念」を持ち続けて人生を徳あるものにしていくことができれば、こんなすばらしいことはない。徳望があれば、人々は必ず集まってくる。文句も言わずに、和やかに心を結び合える。人生で一番大切なものを忘れていては、大事は成らない。

※ひとことコメント
「継続は力なり」とよく言われますが、そのことを本当に実感するためには、ささやかな努力(「一」)が、積み上げられた結果となる(「積」)までの時間を要します。

 多くの頭脳明晰な人が、誤った人生に落ちていくのを見てきました。多くの目先の利く器用な人が、失敗していくのを見てきました。

「積み上げていくことに勝るものはない」と心から実感するのに、私自身、50年間以上の人生を必要としました。積み上げていくこと、それが人生なのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その23】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その23】 人に優しく、自分に厳しく-「春風秋霜」

春風(しゅんぷう)を以(もっ)て人に接し、
秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む。



「春風」をもって人に接していくことのうらに、自分に厳しいところがなくてはならないのだ。

自分と妥協するのは、実に易(やさ)しい。日々、妥協して、安きについて毎日を送ることになる。

誠を思い、道を行なうのに、厳しい自分をつくらなくては、生きているとはいえない。

※ひとことコメント
「他人(ひと)に優しく、自分に厳しくあれ」とは、よく言われることですが、実際には、逆に「他人に厳しく、自分に優しい」人が多くなっているような気がします。しかし、長い目で考える時、そのような人についていく人はいないでしょう。

「他人に優しく、自分に厳しい」人の姿を見て、そのように自分もありたいと思い、そのような人の周りに多くの人が集まるのだと思います。最近よく聴く「引き寄せの法則」という言葉がありますが、きっとそれは、普遍の真理だと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その22】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その22】 大切なのは、具体的に行動すること

閑想客感(かんそうかくかん)は、
志(こころざし)の立たざるに由(よ)る。
一志(いっし)既に立ちなば、
百邪退聴(ひゃくじゃたいちょう)せん。



清らかな湧き水が、こんこんと流れ出して、勢いが強いときは、いくら脇の方から、汚い水が流れ込もうとしても、受け入れないものだ。

「つまらない妄想」(「閑想」)にとらわれて、「外部の雑音に引きずりまわされている」(「客感」)のは、自分の志が、しっかりとしていない証拠なのである。

志をしっかり立てていれば、時間の無駄はなくなる。つまらない雑談に時間がつぶされていまい、志が挫(くじ)けることのないよう、自分で戒めてかかるからだ。

※ひとことコメント
 すべての出発点は、立志から始まる。それは、大仰なものである必要はないと思う。夢であり、あこがれであり、目標であり、そのようなもので良いと思う。

 しかし、その志を立てたならば、その実現のために、具体的に何をなすべきかを考え、実行することが何より大切です。思うだけでは、夢は実現しない。願うだけでは、志を全うすることはできない。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その21】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その21】 為さぬは知らぬと同じ

官に居(お)るに好字面(こうじめん)四有(あ)り。
公の字、正の字、清の字、敬の字なり。
能(よ)く此(こ)れを守らば、
以て過(か)無かるべし。



官公庁に勤めている人はもちろん、社会人は偏(かたよ)りのない公正無私の人でなくてはならない。
「公の字」は、公平無私
「正の字」は、正義正道
「清の字」は、清廉潔白
「敬の字」は、恭敬謙虚
この四つを守って執務していけば、誤りはないというのである。

『小学』の中に、周の武王の師、太公望が武王に教えた言葉を集めた『丹書』がある。そこに、「敬、怠に勝てば吉なり。怠、敬に勝てば滅ぶ。」とある。人間にとって、慎みの心が何よりも大切なことを示して余りある。

すべてのことに、「恭敬謙虚」な心をもってすれば、人生は誤るところはないのである。

※ひとことコメント
 人生55年の経験の中で、間違いないと思うこと、それは、「謙虚さと感謝の気持ちを持ち続け、努力を積み重ねることができさえすれば、人生を間違うことはない。」ということ。

 我今日あるは、我一人の力にあらず。親を始めとして、恩師・友人・親戚など本当に多くの人に支えられて、今日の日を迎えている。そのことを思う時、心から、謙虚に感謝の気持ちを抱くことになる。

 そして、その方々に十分にご恩返しもできずにいることを反省しつつ、せめて世の中の役に立つことを、小さなことでも良いから、何か一つでも実行したいものだと思うのです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その20】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その20】 為さぬは知らぬと同じ

凡(およ)そ教(おしえ)は外よりして入(い)り、
工夫は内よりして出(い)づ。
内よりして出づるは、必ず諸(こ)れを外に験(ため)し、
外よりして入るは、当(まさ)に諸れを内に原(たず)ぬべし。



 人に道を学んで、仁を知る。仁をどう実践していけばよいかは、自分の心の底から出てくる工夫がなくてはならない。

 教えてもらえることは、ほんの原理的なもので、それを一つ一つ自分の人生の中で、工夫して自分のものにしていくことが大切なのである。「教えは外より入り、工夫は内より出づ」という工夫こそ人生の努力の跡なのである。

※ひとことコメント
 明代の儒学者である王陽明は「為さざるは、知らざるなり」と言い放っています。知っていても行動が伴わなければ、知らないのと同じだということです。「頭でわかっている」ことと、「実践してわかった」こととの間には雲泥の差があるのです。

 教えてもらったことを、実際にやってみる。すると、周りの状況や条件が異なると、教え通りにはいかないことも多い。そこで工夫をしてみる。うまく行ったとしても、さらに工夫を重ねることを忘れてはいけない。工夫をし続けることで、新たな本質に行き当たることができる。

 どのような道であろうとも、一筋の道を進み続けるとき、必ずや「本質の輝き」に出会うことができる。すべては実践によって得られるのです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その19】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その19】 一日一新の覚悟で学ぶ

此の学は吾人(ごじん)一生の負担なり。
当(まさ)に斃(たお)れて後(のち)
已むべし



「道」を学ぶのは、人生全体の問題なのだ。学生時代だけ学べばよいというものではない。徳を積み、仁を学び、誠を実践することができれば、生涯の喜びである。

 人生は自らを励まして学ばなければ、すぐに怠けてしまう。どんなにすぐれた人物でも、「道」を求めるのに、もうこれで十分だということはない。生涯をかけて限りなく学び続けていくことだ。

※ひとことコメント
年を重ねるほどに、毎日があっという間に過ぎ去っていくような気持ちがします。掌から「時間」が、砂時計のように、止めようもなく、流れ去ってしまいます。だからこそ、一瞬一瞬を大切にしたいと思うのです。

「一日一生」のつもりで毎日を過ごせたら、どんなに新鮮な毎日になることでしょう。就寝の時には、今日一日の一生を終えることに感謝し、朝目覚めた時には、新しい一生を迎える喜びを感じることができるのです。

 学ぶことは、楽しいことです。どうせやるのなら、楽しみながらやることです。喜びを感じながら、感動しながら、学ぶことです。それが、「学ぶ秘訣」なのです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その18】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その18】 心と心のふれあいを大切に

信を人に取ること難(かた)し。
人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、
躬を信ぜずして心を信ず。
是(ここ)を以て難し。



 人は、言葉だけでは信じてくれない。行為(躬)でも信じてくれない。「心」対「心」のふれあいがなければ信じあえないのである。だから、信じあうことはむずかしい。

 自分の妄念や私欲を払って、誠心誠意、人に尽くしていくことの中から、「信」が生まれてくるのだ。「信」を信じて、少しもゆるがないことが、「信」の究極である。「信」ほど人間関係で大切なことはないのである。

※ひとことコメント
 自分が他人にどのように思われているのかが心配になることがあります。その他人が上司であったり、友人であったり、人それぞれでしょう。そして心配が心配を生み、嫌われているのではないか?などという気持ちさえ持つことがあります。

 そんな時は、そのように思った瞬間に、その人のために何か役に立つ、喜んでもらえるようなことができないかを考え、具体的に実行してみることです。

 人はよく「取り越し苦労」(まだ起こってないことを前もって心配する)・「持ち越し苦労」(過去のどうにもならないことをいつまでも悩む)をすることがあります。自分が想像した未来を心配したり、変えようもない過去を引きずっているのです。「今できることを精一杯やること!」それがすべてなのです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その17】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その17】 今を生ききる

聖人は死に安(やす)んじ、
賢人は死を分(ぶん)とし、
常人は死を畏(おそ)る。


 人間に生死があるのは、誰でも知っている。問題なのは、それをどうとらえるかだ。聖人は、「生は必ず死する」ことを十分に知っているから、いつ死が来ても、安んじて死に対処することができる。

 生きる一瞬一瞬のうちに、死を受容する心があるから、逃げ回ることはしない。人間はこの覚悟が大切だ。よく生きることは、よく死ぬことと一体なのだ。そう思えば、今を真剣に生き抜くことだ。

※ひとことコメント
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」という一句を、良寛は自分の臨終にあたって残しています。この句の中に良寛の心境がよく表れています。

 過去の出来事で無駄なことは一つもありません。失敗も過ちもあったかもしれません。それは、未来に生かせば良いのです。成果を出せたのであれば、それは周りで支えてくださった皆さんに感謝することです。

 過去は、その経験を未来に生かすために存在するのです。そして、未来は現在の一瞬一瞬の積み重ねです。となれば、結局は、今の一瞬一瞬を輝かせながら、自らの信じる人生を生きていくことが大切なのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その16】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その16】 粘り強く人間力を高めよう

急迫(きゅうはく)は事を敗り、
寧耐(ねいたい)は事を成す。


 急いで事を為すと、たいていは失敗する。落ち着いてじっくりと耐えながら好機の到来を待って事を為せば、必ず成功する

 すぐに反応して、すぐに結論を出したくなるが、そういうことは、大切なことではない。年月をかけて、あせらず、あわてずに極めていくのが良いのだ。

※ひとことコメント
 慌てて結論を出しても、良い結果は得られないと思います。まずはゆとりをもって、前もって情報を集め、信頼できる人の意見も聞き、結論を出せば大きな間違いを起こすことは少ないのだと思います。

 しかし、少ない時間で結論を出さざるを得ないケースもあるでしょう。私は、そういう時には、3つの基準にあてはめて考えるようにしています。(1)本質的に(2)多面的に(3)長期的に考えてみて判断するということです。これは安岡正篤先生(東洋思想家)の教えです。この3つをクリアできる答ならば、まず大きな間違いは無いものと思います。

 ただ、最も大切なことは、正しい答を見い出すことができる「人間力」を身につけることだと思います。そのためには、年月の積み重ねが必要です。書物を読み、それを実社会の中で実践し、人間力を高めていくことしかありません。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その15】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その15】 謙虚さが視野を広げてくれる

己れを喪(うしな)えば、
斯(ここ)に人を喪う。
人を喪えば、
斯に物を喪う。


「自分を失う人」は、私利私欲に身をゆだねる人だ。自分は誤りがない、誤りは他人だけにある。そう信じて、他人を責める人には、人望など集まるわけはない。

 自分に一切の責任があり、それをすべて背負っていくという気構えがなくては、人の上には立つことはできないのだ。勇気とは他人に責任をかぶせない心をいうのだ。

※ひとことコメント
 問題が起こった時、あなたの責任は常にゼロでしょうか?直接の責任はなくとも、なにかアドバイスをできなかったか、そうなる前に前兆になぜ気づくことができなかったかと考えればどうでしょうか。

 他人の責任にするのは簡単なことです。しかし、他人の責任にしたその時、自らの成長はありません。謙虚に、何かできることがあったはずだと考える時に無限の成長があると思うのです。

 リーダーとは常に責任を取る存在なのです。リーダーとは、リーダーを引き受けたその瞬間から、メンバー全員の幸せのために、目標の実現に向けて全力を尽くし、すべての責任を取ることを覚悟した存在なのだと思います。だからこそ、腹を据えて、部下たちに「責任は私が取る。しっかりやってみろ」と言えるのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その14】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その14】 すべては志に応じて見えてくる

人の月を看るは、
皆徒(いたず)らに看るなり。
須(すべから)く此(ここ)に於(おい)て
宇宙窮(きわまり)無きの概を想うべし。


 人生はぼんやり過ごしてしまうと、何も発見することはできない。名月をぼんやりと見るのではなく、その中に宇宙の哲学を思い、人生のあり方を見る心があれば、人生は幸せになれるのだ。

 道を求めて、一日に半歩でも前進することができるならば、幸せは必ずやってくる。求める人の上に、天は運気をもたらしてくれる。

※ひとことコメント
 あなたは月を見て、何を思われますか?見る人の志のありようで、同じ月を見ても、異なって見え、別々の事を思うのです。

 毎日の生活の中でも、相手の何を、どこを見るかによって自分の人生も変わってきます。他人の欠点を見て、知らず知らず批判の対象とし、自らを省みるのを忘れてしまうようなことがあります。

 前向きの志をしっかりと持ち、他人の欠点を他山の石として自らを反省し、他人の長所を謙虚に学ぶ時、常なる成長の道を進むことができるのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その13】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その13】 大きな目標を持って人生を生きる

著眼(ちゃくがん)高ければ、
即ち理を見て岐(き)せず。


 人生を生きる時、「着眼」を高くして、大局をしっかりと見ていくことだ。真理を見ていけば、岐路にぶつかっても、迷うことはないのである。

 人生において、目のつけどころがしっかりしていれば、慌てることは一つもない。道理に合った生き方ができていれば、安んじて事をなせるものだ。

※ひとことコメント
「あなたはどのような人生を生きたいですか?」という質問にすぐに答えることができるでしょうか?

 私利私欲に走った人生を生きれば、大きな自然の流れから道をそれることとなり、いずれは人々の信頼を失うことになるでしょう。

謙虚さと感謝の気持ちを持ちながら、高い志を抱く時、自然の大きな流れがその背中を押してくれるのだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その12】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その12】 才能は謙虚さを添えて使いましょう

諫才は猶(な)お剣のごとし。
善(よ)く之を用うれば、
則ち以て身を衛(まも)るに足り、
善く之を用いざれば、
則ち以て身を殺すに足る。


 才能は、使い方によって、身を守ることにもなり、身を殺すことにもなる。すぐれた人物は、そのすぐれた才能によって倒れる例が少なくないのを見ても明らかだ。

 すぐれた才能をそのまま思い切って使っていくと、傷つく人が出てきて、最後は自分の身を危うくする。すぐれた才能は、いぶし銀のように目立たないようにするのだ。

※ひとことコメント
 才能が目立ちすぎると、結局、才能を生かせなくなるということがあります。才能は隠しておくくらいでちょうど良いのかもしれません。謙虚に努力を重ねている間に、才に優る徳が身についてくるように思います。

 グラスに注ぎ続けた水が、あふれるようにして、その才能が開花していくのが最も望ましいのではないでしょうか。

 「見るもよし 見ざるもよし されど我は咲くなり」という言葉が大好きです。他人の評価を得るためではなく、自分自身が納得のいく毎日を過ごすことが大切だと思います。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その11】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その11】 心を込めて助言をしよう。感謝の心で諫言を受け止めよう。

諫(いさめ)を聞く者は、
固(も)と須(すべから)く虚懐なるべし。
諫を進むる者も亦(また)須く虚懐なるべし。


 一人の知恵で仕事をしても、小さなことしかできない。みんなのすぐれた知恵を集めて、一つの大きなエネルギーにしていくためには、人間関係を信頼の絆でしっかりと結び合わせておくことだ。

 その上に立って、諫めたり、諫められたりすれば、お互いに虚心になって、これを聞くことができるのである。人間、虚心になれば、まわりの知恵はすぐに集まり、道が開けてくるのである。

 虚心になって他人からの諫言を聞ける人は大きく伸びていく。自分が大きく成長する肥料なのだと思って、感謝をして、進んで求める心が欲しい

※ひとことコメント
 私心なく、TPOを選び、その人の為を思って、心を込めて助言をするようにしたいものです。その気持ちは必ず通じると思います。

 諫言を受けた時は、まず「ありがたいことだ」と感謝の気持ちを持ちましょう。感謝の心をもって諫言を聞ける人は、その人間力を高めていく。諫言に対し、むやみに反論したり、愚痴の種にする人に人間的な成長はありえない。

 年齢を重ねてくると、心を込めて、助言・諫言をしてくださる人が人生最大の財産であるということがわかってきます。助言・諫言に耳を貸さないでいる内に、次第に助言さえしてくれなくなり、本人の気づかない内に、裸の王様になってしまうのです。初心を忘れないようにしたいものです。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その9】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その9】 -自己を錬磨し、達人の世界へ-

一芸の士は、
皆語るべし。


一芸に達した人の話を聞くと、いつも心が洗われる。
「菜根譚」に、「心地の上に、風濤なければ、在るに随いて、皆青山緑樹なり」と達人の心境が書いてある。

 何をやってもよい。ただ、達人は、心の上に波風がたっていないのである。だから、生涯、全く別のことをやってきても、一芸の達人は、互いに百年の知己のようにすぐに話が通じあえるのである。

※ひとことコメント
 金平糖(こんぺいとう)をご存じでしょうか?星のような形の懐かしいお菓子です。昔、ある方が、「人というのは、金平糖のように突き出たものを持つことも大切だよ」と言われたことを覚えています。

 どのような趣味でも、仕事でも、10年間一生懸命努力を重ねていると、特別のステージに入ることができるのではないでしょうか?もちろん年数を重ねるほどに、更に未知のステージに入っていくのでしょう。

 そのような感性を得ることができるのは、一生懸命それぞれの分野で、努力を積み重ねた人にだけ許されることなのだと思います。達人になりたいですね。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その8】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その8】 自然に学び、個性を大切に

草木を培植(ばいしょく)して、
以て元気機緘(げんききかん)の妙を知る。
何事か学に非(あら)ざらむ。


「早起きして、家庭の菜園に出ると、トマトやキュウリが、おはようと声をかけてくるんです。自然のありがたさをしみじみと感じさせてくれます。」と、草木や菜園を愛する人が増えている。

 自然にふれることは、すばらしい感動を呼び起こすからだ。草木を植え育てていると、人生そのものが草木の栄枯の姿の中に見えてくる。

人間の一生も、まさに草木と同じように、春に芽を出し、秋に実を結び、冬には散っていくのだということに気づくと、味わいはひとしおとなってくる。

※ひとことコメント
 北原白秋の詩に、「薔薇の木に、薔薇の花咲く。何事の不思議なけれど。」という詩があります。ぼたんの木にはぼたんの花が咲き、薔薇の木にはぼたんの花は咲かない。
 その不思議に気づいた時、「私も、また、私で良いのだ」と思うのです。比較するところから不幸が始まるのです。
 地球上の一人ひとりが、異なる個性を持っているのです。それぞれの個性を輝かせながら、お互いを理解し合いながら、有意義な人生を歩んでいきたいものだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その7】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その7】

得意の時候は、
最も当(まさ)に退歩の工夫を著(つ)くべし。
一時一事も亦(また)皆亢龍(こうりょう)有り。


「得意絶頂」にある時こそ、心を引き締めて、一歩「退く工夫」をしなくてはならない。どんな時でも、どんな事にでも、みな「盛者必衰の法則」が動くのだから。

 竜が登りつめると、やがて降りてくるように、一歩も二歩も余裕をもって、大地にしっかりと足をつけておかなくてはならない。

※ひとことコメント
 絶好調の時に浮き足立つことはよくあることです。得てしてそういう時に大きな失敗をするものです。それを防ぐ心構えを表しているがこの言葉です。
 好調の時には、「今の自分があるのは決して自分一人の力ではない。多くの方々のご支援・ご指導のおかげである。」と常に謙虚さ忘れず、周りのすべてに感謝することです。
 失意の時には、反省すべきは反省し、その後、自らを激励することも大切です。「今までもいくつかの山を乗り越えてきたじゃないか。今度も絶対乗り越えられる。」と自分を激励するのです


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その6】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)から感銘を受けた文章をいくつかお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その6】

分(ぶん)を知り、
然(しか)る後に、
足るを知る。


「足る」を知れば、人生はそれが一番幸福なのだ。
「分を知り、足るを知れ」ば、人生は「危うからず」である。

だからといって、このままに安じてよいというのではない。現状から一歩でも二歩でも前進する努力を前提としてのことだということも忘れてはならない。

※ひとことコメント
「もっともっと欲しい」の世の中になってしまっています。もっと欲しいと考える前に、自分の周りを見渡してみましょう。すべての環境を無償で与えてくれている存在に気がつきませんか?それは、例えば、太陽であり、地球であり、自然環境すべてだと思います。そのように考えたならば、「もっともっと世の中に役に立てますように」という気持ちが湧き上がってきます。足るを知り、世の中の役に立つことができるよう、自らを高めていきたいものだと思います。


「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その5】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その5】

人の言は、須(すべから)く容(い)れて、之を択(えら)ぶべし。
拒(こばむ)む可(べ)からず。また惑(まど)う可(べ)からず。


「人の言」は、「拒まず」、「惑わず」、じっくりと耳を傾けて聴く心の広さを持たなくてはならない。「人の言」は、とにかく「ありがたいことだ」と思って受け入れることが大切だ。

自分の情報などはたかが知れている。できるだけ多くの「人の言」を受け入れて、誤りのない判断をしていかなくてはならない。

※ひとことコメント
批判を受けた時に、「ありがたいことだ」と「自分にはまだまだ学ばなくてはいけないことがたくさんある」と、感謝と謙虚の気持ちを持ちながら、受け入れることができたならば、どれほど心やすらかな豊かな人生を送れることでしょう。すべての事象は、見る角度によって、また、受け取る気持ちの有り様(よう)によって、変わってくるものです。自らが人間として成長できるような受け取り方をしたいものです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その4】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その4】

少年の時は当(まさ)に老成の工夫を著(あらわ)すべし。
老成の時は当に少年の志気を存すべし。


人生を生き生きと前向きにいきてこそ、「生きた」と言える。少年の時には「老成の思慮」を身につけなくてはならない。逆に「老成」した時には「少年の志気」を持つべきなのだ。

秀才だからすべてに役に立つとは限らない。鈍才だから全く役に立たないということはない。少年の時は経験豊かな人のように考え、工夫し、年をとったら若者の気力を失わないことだ。

※ひとことコメント
若い人に老成の工夫をと言っても難しいかもしれません。私の場合、若い時に様々な問題に直面した時、尊敬していた先輩ならどう考えるだろう、どのように対処するだろうかと、考えていました。私自身は、現在まだまだ老成の時に至っているとは思いませんが、年令だけはだいぶん近づいてきています。若者に負けない気力を失わないようにしたいものだと思っています。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その3】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その3】

真に大志(だいし)有る者は、克(よ)く小物(しょうぶつ)を勤め、
真に遠慮(えんりょ)有る者は、細事(さいじ)を忽(ゆるがせ)にせず。


大志をもって、それに向かって一日一日を積み上げている人は、小さな事にも細心の注意を払って、大切に処理していく。

今日一日が人生のすべてにつながっている一日なのだという自覚さえあれば、どんなに小さな事でも、大切に処理していかなくてはならない。

※ひとことコメント
「大志をもつ」と考えると、構えてしまうようなところがありますが、私は、「自分なりに世の中の役に立ちたいと決意する」ことで良いのではないかと思います。今、自分にできることを、たとえ小さなことであっても、しっかりと実現していくことが大切だと考えています。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その2】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その2】

人は須(すべから)く省察すべし
「天、何(なん)の故に我が身を生出(うみいだ)し
我をして果たして何(なん)の用にか供せしむる」


「天は、この自分を、何の故あって、地に生み出してくれたのか。何の用に立てようと考えて、世に送り出してくれたのか」

人間は、自己一人のために存在するのではない。まわりの人々のために存在するのだ。もっと大きく、もっと広く、もっと正しく生きなくては、意味がないのだ。
自分を反省できる人は、心の大きい人だ。心を大きくもち、他人の批判などを恐れず、自分と対話のできる人はすばらしい。

※ひとことコメント
せっかく生まれてきたのだから、何か世の中の役に立ちたいものだと思いつつ、もう54歳になってしまいました。最近、通りに落ちているゴミを拾うこと、できるだけ笑顔を大切に毎日を過ごすこと、ありがとうと心を込めて言うこと、そんなひとつひとつを、ささいではあるけれど、ごく自然にできるように努めています。できることから、思いを行動に移したいものです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その1】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その1】

凡(およ)そ事(こと)を作(な)すには、
須(すべから)く天(てん)に事(つか)うるの心有(あ)るを要すべし
人に示すの念有(あ)るを要せず。


 かつて西郷隆盛は、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と言った。もしも、これ以上のことはできないところまで尽くしていれば、むしろ誇らしい気持ちになり、誰が何といおうとも、悠然と聞き流すことができるのである。

 人の批評ほど勝手なものはない。そんなことに気をとられていては、人間として大成できない。そこをつきぬけて生きてこそ、人生は本物になるのだ。

※ひとことコメント
つらいことや困難に巡り会うと、ついつい他人の言動が原因のように思いがちですが、天を相手として、自分のできることを精一杯実行することが一番早道の解決方法なんですね。

【その3】

真に大志(だいし)有る者は、克(よ)く小物(しょうぶつ)を勤め、
真に遠慮(えんりょ)有る者は、細事(さいじ)を忽(ゆるがせ)にせず。


大志をもって、それに向かって一日一日を積み上げている人は、小さな事にも細心の注意を払って、大切に処理していく。

今日一日が人生のすべてにつながっている一日なのだという自覚さえあれば、どんなに小さな事でも、大切に処理していかなくてはならない。

※ひとことコメント
「大志をもつ」と考えると、構えてしまうようなところがありますが、私は、「自分なりに世の中の役に立ちたいと決意する」ことで良いのではないかと思います。今、自分にできることを、たとえ小さなことであっても、しっかりと実現していくことが大切だと考えています。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その2】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その2】

人は須(すべから)く省察すべし
「天、何(なん)の故に我が身を生出(うみいだ)し
我をして果たして何(なん)の用にか供せしむる」


「天は、この自分を、何の故あって、地に生み出してくれたのか。何の用に立てようと考えて、世に送り出してくれたのか」

人間は、自己一人のために存在するのではない。まわりの人々のために存在するのだ。もっと大きく、もっと広く、もっと正しく生きなくては、意味がないのだ。
自分を反省できる人は、心の大きい人だ。心を大きくもち、他人の批判などを恐れず、自分と対話のできる人はすばらしい。

※ひとことコメント
せっかく生まれてきたのだから、何か世の中の役に立ちたいものだと思いつつ、もう54歳になってしまいました。最近、通りに落ちているゴミを拾うこと、できるだけ笑顔を大切に毎日を過ごすこと、ありがとうと心を込めて言うこと、そんなひとつひとつを、ささいではあるけれど、ごく自然にできるように努めています。できることから、思いを行動に移したいものです。

「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)【その1】

 最初の本は、赤根祥道氏が著した-名著「言志四録」を読む-『自分を磨く』(三笠書房)からお伝えします。
 この本は、西郷隆盛が、佐藤一齋の著書「言志四録」から101条を選び、座右の銘とし、生涯に渡って愛読していたことに感激し、赤根祥道氏が著したものです。

【その1】

凡(およ)そ事(こと)を作(な)すには、
須(すべから)く天(てん)に事(つか)うるの心有(あ)るを要すべし
人に示すの念有(あ)るを要せず。


 かつて西郷隆盛は、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と言った。もしも、これ以上のことはできないところまで尽くしていれば、むしろ誇らしい気持ちになり、誰が何といおうとも、悠然と聞き流すことができるのである。

 人の批評ほど勝手なものはない。そんなことに気をとられていては、人間として大成できない。そこをつきぬけて生きてこそ、人生は本物になるのだ。

※ひとことコメント
つらいことや困難に巡り会うと、ついつい他人の言動が原因のように思いがちですが、天を相手として、自分のできることを精一杯実行することが一番早道の解決方法なんですね。